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『ミドルマン』

2019年放映予定のフランスのテレビドラマシリーズ。なんとフランスに先駆けて先行上映!

· 映画

 2018年の秋にエトガル・ケレット、シーラ・ゲフェン夫妻が脚本・監督をつとめて作成したテレビドラマシリーズ。現在まだ編集中。主演はマチュー・アマルリック。エトガル・ケレットも出演している(っぽい)。

 2018年のインタビュー(『新潮』2018年12月号に掲載)で明かしたところでは、亡くなった母親から古いビルを一棟受け継いだ男が、そこに居座る母の友人を追い出さんとするも、次第に守るべきものに目覚めていくという話らしい。なんせまだ編集作業中で完成しておらず、確定した内容は書けないので、この時のインタビューからの発言を掲載する。

 今回の来日での映画祭ではこの作品も、なんと、本国での放映に先駆けて(!)世界初上映(の予定。テレビ局の編成次第では放映後になる可能性もあります)。こんなことがあっていいのか?

・インタビューより 

Etgar Keret (以下EK): 死んだ母親から古いビルを相続した不動産屋の話なんだ。彼はビルを売って大金を手に入れたいと思うんだけど、このビルの最上階には亡くなった母親と友だちだったって言うおばあさんが住んでいる。ばあさんはレストランのナプキンを持っていてそこには「この女性を立ち退かせてはいけないよ。彼女は死ぬまでここに住む権利があるんだから」って書いてある。不動産屋の男はこれが気に入らない。ばあさんを追い出さない限りこのビルには何の価値もないし、このビルを潰して新しいビルを建てたいと考えているからね。それで二人の間に戦いが始まる。ばあさんはタフでなかなか降参しない。それで男はこのビルが自分のものだって主張するためにこのビルに自分も住み始める。でもこのビルに住み始めてからというもの、そこで寝て目が覚めるといつもこの同じビルの40年前にタイムスリップしてしまっているんだ。だから現在ではこのぼろいビルの所有者なのに、過去においてはこのビルの清掃係として働くことになるんだ。

 そして過去を通して両親のことや自分のアイデンティティについて学ぼうとしたり発見したりすることになる。過去との繋がりができるんだよ。そしてそのつながりを通して主人公は、このビルを残したいって気になる。もう壊したくなくなるんだ。でももう各方面と契約を交わしてしまっているから、今度はビルを守るために戦わなくてはいけなくなる。このビルが彼の過去への入り口になるんだ。これはとても変な番組で、いろんな変なエピソードが仕掛けてある。たとえば主人公の親友は弁護士で、死んじゃうんだけど、魚になって生まれ変わる。それで主人公はこの魚をアドバイザーにして、魚は法的な助言をしてやるんだ。そういう変なエピソードがたくさんあるんだけど、でも中心にあるのはファミリーストーリーなんだ。主人公は自分でも、父親として上手くやれずにいて、自分の親とも難しい関係だった。だからこの番組にはファンタジーとか不動産とかビジネスとかの要素も入っているけど、最終的には家族の間の関係がテーマになっているんだ。

そのドラマは何話続くんですか?

EK:テレビの仕事っていうのは難しくって、もともとは1時間のエピソード6話ぶんをシーラと書いたんだけど、テレビ局の方から削ってくれって言われて結局4話になった。

これはケレットさんにとって新たな挑戦なんじゃないですか?いつもはとても短い小説を書いていらっしゃいますが、これは続き物でストーリーをつなげていかなくてはならない。

EK:うん、このプロジェクトはいくつかの意味でチャレンジだと思う。まずは今きみが言ったように、このストーリーは240ページくらいの長さになるってこと。でももっと大きなチャレンジは、ぼくとシーラがヘブライ語で書いて、それがフランス語に翻訳されるってこと、そしてぼくらは自分たちの母語ではないことばで監督しなけりゃならない。しかも住んだこともない国を舞台にしたストーリーと来ている。変だろ?ぼくが日本の家族について書くのを想像してみてよ。でも、ぼくが思うに芸術のいいところは、制限されることが逆に利点にもなりうるってことなんだ。柔道みたいにね。こういう不便さを受け入れて、フランスの文化やフランスの歴史をわかっている振りをするのはやめようってぼくらは決めた。そうじゃなしにフランス的なもののなかに異物を持ち込んでなにか少しシュールなものにしよう、演劇だとかファンタジーに似たような、あるいは夢みたいな。そうすることでフランスの聴衆と対話できるんじゃないかってね。

 あなたたちの住んでいる町について何かを教えようとしているんじゃないよ、そうじゃなくって父親であるってのはどういうことか、息子であるってのはどういうことか話してみたいんだ、ってね。過去に繋がっているのは大事なことなのか、そうじゃないのか。そして変な話だけど、この作品について考えている間ずっとイスラエル人の登場人物がいたほうがいいんじゃないかって気がしていたんだ。イスラエル人のキャラクターがいれば書くのも楽になるしってことでイスラエル人のキャラクターを書いた。でも何回か書き直しをして変更を重ねるうちに、最終的にこのイスラエル人のキャラクターは悪役になってしまった。嫌な奴ではないし彼の言ってることもわかるんだけど、主人公と対立する敵役になっちゃった。

 彼の関心は主人公とは違っていて、それがおもしろいのは、ぼくがいつもフランスに行くと感じていた感情を反映しているからなんだ。イスラエルは無から作られた新興国で、聖書やらなんやらはあるけれども伝統に関してはあまり拘泥しない国だ。いつもイノベーションについて考えていて、なにか新しいことをしようとしている、新しいスタートアップとかアイデアとか。でもフランスに行くと社会全体が自国の歴史や歴史との結びつきに関心を持っている。パン屋を名乗るのに法律があるとか、町の外観のためにアパートにエアコンを設置するのが許されなくて死ぬほど汗をかいているのに伝統を守るためにエアコンをつけないとかね。だからフランスに行き始めた当初はイスラエルにいる時みたいに「おい、この国の人たちはクレイジーだよ」って思ってた。

 でももっと近づいてみると、過去から受けるストレスがどれほど大きいかわかってきた。過去や伝統に抗ってみてもそこからいかにストレスを受けるものか。でもヒエラルキーや敬意を持つことは実際には自分のやり方を作る助けになることもある。だからドラマのなかの敵役はこの伝統を軽視するような人間にする必要があった。こいつは「4階建てのビルなんてなんで残しておくんだよ。俺ならぶっ壊して50階建てのビルを建てるよ!」なんて言う奴なんだ。これはある意味、とても現代的で大いにイスラエル的なものの考え方とフランス的なものの考え方の衝突みたいなもので、最終的にはこのイスラエル人キャラクターはここで何かを理解するんだ。これは彼の物語ではないけれども、馬鹿にしたり見下したりするべきではないものなんだ、ってね。彼自身の思想と同じように正統な思想なんだって。

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