エトガル・ケレット&シーラ・ゲフェン
2019 来日サイト
エトガル・ケレット&シーラ・ゲフェン
2019 来日サイト
Etgar Keret and Shira Geffen Visiting Japan in October,2019!
The Eighth Good Year with Jellyfish from Israel
2019年10月!!
イスラエルの作家エトガル・ケレットと
映画監督シーラ・ゲフェン来日!!
2019年10月11日‐22日、甲南大学 KONANプレミア・プロジェクトにより
エトガル・ケレットとシーラ・ゲフェン(夫妻)を招聘します。
彼らの来日に合わせて、ふたりの作品を上映する映画祭(東京・京都・神戸)や
様々なテーマでのトークイベント(東京・神戸)を開催します。
(※お陰様をもちまして、好評のうちに終了いたしました。)
このサイトでは、世界で活躍するふたりの紹介や映画祭・イベントの詳細をアップしていきます。
彼らの来日を心より歓迎し、盛り上げていきたいとおもいますので、
ぜひチェックしてください!!
※10月19日(土曜日)神戸会場(甲南大学)でのケレットさんの対談相手が、作家の西加奈子さんに決定!!!
10月13日(日)新宿紀伊国屋での対談相手が書評家の倉本さおりさんに決定!!!
10月16日(水)出町座での対談相手が作家の藤野可織さんに決定!!!
エトガル・ケレット
(Etgar Keret)
Israeli writer
2019年 サピール賞受賞!!
※「サピール賞」とは、イスラエルで最も名誉ある文学賞
受賞作品は『銀河の果ての落とし穴』(仮題)
1967年生まれのイスラエルの超短編作家、映画監督。両親はポーランドでのホロコースト体験者。義務兵役中に親友が自殺したことをきっかけに小説を書き始める。
自殺や死を扱った作品が多い。といえば重苦しい作風を想像するかもしれないが、ケレット作品の最大の魅力は「笑える」ことである。その独特のユーモアセンスで読者を笑わせながら、そのあとに深く考えさせるような、簡単には消化できない作品を書く。もうひとつ特筆すべきはその「やさしさ」であろう。
世界40か国以上で翻訳され、読まれている、現代の「世界文学」における最重要作家の一人である。
シーラ・ゲフェン
(Shira Geffen)
Israeli actress, screenwriter, film director
and children's book writer
1971年生まれのイスラエルの映画監督、脚本家、女優。2007年カンヌ国際映画祭において、映画『ジェリーフィッシュ』でカメラドールを受賞。この映画はシーラの脚本を夫妻が共同で監督したもの。
2014年には『ジェリーフィッシュ』で主演を演じたサラ・アドラーを起用した『 Self Made (Boreg)』を撮っている。
(日本未公開・予告編↓)
Schedule
映画祭とトークイベントの詳細をご案内します
Event Schedule
10月12日(土曜日)in TOKYO
at 甲南大学ネットワークキャンパス東京
ー「おもしろさ」の向こう側 ー
18:00~ 映画上映
『ミドルマン』第1話(45分)
19:00~ トークイベント
ケレット × ゲフェン
司 会:秋元孝文(甲南大学文学部教授)
10月13日(日曜日)in TOKYO
『銀河の果ての落とし穴』刊行&著者来日記念トークイベント
「エトガル・ケレット、大いに語る──現実の裏にあるシュールな真実」
エトガル・ケレット(作家)×倉本さおり(書評家・ライター)
2019年10月13日(日)15:00開始(サイン会あり、18時終了予定)
10月19日(土曜日)in Kobe
at 甲南大学 甲友会館
ー「おもしろさ」の向こう側:生を照らす物語の力 ー
10:30~ 映画上映
『ミドルマン』(前編)(90分)
13:00~ 映画上映
『ミドルマン』(後編)(90分)
14:30~ 映画監督トーク(シーラ・ゲフェン)
15:20~ トークイベント
『「おもしろさ」の向こう側:
生を照らす物語の力』
エトガル・ケレット×西加奈子さん
※スケジュール・内容は変更になる場合があります
Movie Schedule
上映作品(予定):
2018年国際エミー賞芸術部門受賞!!
・『エトガル・ケレット ホントの話』(2017)
監督:ステファン・カース
字幕:秋元孝文(甲南大学文学部教授)
2007年カンヌ国際映画祭カメラドール受賞!
・『ジェリーフィッシュ』(2007)
監督:エトガル・ケレット&シーラ・ゲフェン
字幕:大西公子
・『リストカッターズ』(2007)
監督:ゴラン・デュキック
原作:「クネレルのサマーキャンプ」
(エトガル・ケレット)
字幕:秋元孝文(甲南大学文学部教授)
・『ミドルマン(前編・後編)』(2019)
監督・脚本:エトガル・ケレット&シーラ・ゲフェン
字幕:星加久実
〔上映スケジュール〕
出町座(京都): 2019/10/5(土)~2019/10/18(金)
※10月16日(水)ケレット&ゲフェン来場決定!対談のお相手は小説家の藤野可織さん!
詳しくはこちら
元町映画館 (神戸): 2019/10/12(土)〜2019/10/18(金)
※10月17日(木)ケレット&ゲフェン来場決定!
詳しくはこちら
VACANT(東京): 2019/10/25(金)〜2019/10/27(日)
詳しくはこちら
甲南大学:2019/9/30(月)〜2019/10/2(水)
18:00開場 18:30開演
各日のプログラムはこちら
※上映スケジュール・内容は変更になる場合があります
Works
エトガル・ケレットの作品(小説など)、シーラ・ゲフェンの監督作品などを紹介します。
(主に日本で入手可能なものを掲載しています)
BOOKS
日本語の書籍は3点
(2019秋に新作出版予定)
他にも絵本や雑誌掲載記事があります
※タイトルをクリックすると紹介を表示します
書 籍
(母袋夏生訳、新潮社、2015年)
(秋元孝文訳、新潮社、2016年)
★第三回日本翻訳大賞最終候補作品
(母袋夏生訳、河出書房新社、2018年)
・ New!! 新刊
(河出書房新社、2019年9月下旬出版予定)
絵 本
(久山太市訳、評論社、2005年
※ エットガール・キャロット表記)
その他
・ ヘブライ語原書
・英訳版
・ シーラ・ゲフェン/作 マーヤ・シュレイファー/絵(Maya Shleifer)の絵本『黄金の刺繍糸』
FILMS
エトガル・ケレットの人気作品を
映画化したものや彼の創作についての
ドキュメンタリー映画をご紹介
※いずれも映画祭にて上映予定
※タイトルをクリックすると紹介を表示します
・『ジェリーフィッシュ』(2007)
監督: エトガル・ケレット&シーラ・ゲフェン
★2007年 カンヌ国際映画祭カメラドール受賞作品
・『リストカッターズ』(2007)
監督:ゴラン・デュキック
原作:『クネレルのサマーキャンプ』
(エトガル・ケレット)
・『エトガル・ケレット ホントの話』(2017)
監督:ステファン・カース監督
★2018年国際エミー賞芸術部門受賞
・『ミドルマン(前編・後編)』(2019)
監督・脚本:エトガル・ケレット&シーラ・ゲフェン
Comments
色んな方からのコメントを載せます。
● ケレットさんの最新作『銀河の果ての落とし穴』の翻訳者である広岡杏子さんからコメントが届きました●
九月末に河出書房新社から刊行予定のケレットの新刊『銀河の果ての落とし穴』。約二十二篇からなる短篇集は、妻と子供に逃げられてサーカス団の人間大砲になる男の話からはじまる。サーカス団の団長から「人間大砲になるためには、孤独でみじめであればいい」と言われた男は、大砲から放たれて、空高く飛んでいく。物語というより詩のような最後の話では、人類の進化と人間の一生が重なって、ふと気がつくと一人ぼっちになっていた「ぼく」だけが残され、幕が閉じる。こんなふうにケレットは、スタート地点で読者を孤独にして放り出し、最後にもう一度ひとりぼっちにする。途中で出会うのは、飛び降り自殺をしようとしている男、ウサギになったパパ、「ピトモンGO」のレアキャラをゲットしに戦場へ向かう若者、ヒトラーのクローン、物乞い検索アプリを開発する主婦、泥臭い地上に帰りたいと望む天使……。ユーモアをエンジンにぐんぐん船を進めるような話もあれば、暴走する船の様子を淡々と語ることで一層不気味さが増すような話もある。孤独を引き受けた後に待っているのは、人生を味わい尽くすめくるめく旅だ。ケレットは本書で、そんな地図を手渡してくれる。
広岡杏子(エトガル・ケレット新刊『銀河の果ての落とし穴』翻訳者)
● 小竹由美子さんよりコメントが届きました ●
エトガル・ケレットの名を最初に知ったのは、アメリカのユダヤ系作家、ネイサン・イングランダーがケレット作品の翻訳者のひとりだったから。そのイングランダーを知ったのは、同じくユダヤ系アメリカ人作家であるジョナサン・サフラン・フォアが、(ユダヤ民族や歴史や文化について)ああいう書き方をしてもいいんだ、と驚嘆した、とどこかに書いていたからで、興味をそそられてイングランダーの短篇集を読んだわたしも同じく、ひょええ、とびっくりしました。そのイングランダーが、深く敬愛するイスラエルの人気作家であるケレットの作品を訳していると知って読みたくなり、英訳版(当時はまだ邦訳は出ていなかったので)の『突然ノックの音が』を手にしたのですが、すぐさま今度は、驚きを通り越してぶっ飛んでしまったのでした。な、なんなんだこれは、と言うしかないユニークな語り口のこの掌篇群、とにかくどれもヘンテコ。軽い読み心地で楽しく読めて、でもそこにとんでもなく深くて重いものがあって、哀しくて可笑しくて、じんわり温かい。
ケレットさんは発信型らしく、SNSでまめにコメントを綴り、世界中あちこち飛びまわって講演活動も活発に行っているようで、YouTubeにトークもいろいろアップされています。そういうのを追っかけるうちに、作品だけではなくそのお人柄も大好きになりました。
イスラエルはご存知のようにとても特殊な国です。第二次大戦後に国際政治のパワーバランスのなかで建国された若い国だけれど、様々な国からそこに集まってきて暮らす人々は民族としての長い歴史と文化を持っている。そして長い迫害の歴史をくぐり抜けてきた人たちの国が、今では迫害する側にまわっている。そこでの公用語であるヘブライ語は、ほとんど死語と化していたものを日常語として再生した特殊な成り立ちの言語のようです。ケレットさんの短篇集『突然ノックの音が』と『クネレルのサマーキャンプ』の訳者、母袋夏生さんが訳された『ベン・イェフダ家に生まれて』には、「国語」としてのヘブライ語を立ち上げるまでの苦難の道が描かれています。そんな国で生まれ育ち、両親がともにホロコーストの生き残りであるというケレットさんが、俗語の頻出する現代ヘブライ語で綴る数々の物語は、イスラエルという国で暮らすことの不条理を誰にも真似のできないユニークな表現で描きつつ、世界中どこであろうが人が生きることにつきもののいろんな矛盾とか、やるせなさとか、バカらしさを巧みに浮き上がらせ、人間という奇妙な生き物への深い愛を語っている気がします。
前述のイングランダーさんが、ユダヤ人というのは、辛いこと、悲しいことを話すときほどジョークを交えるんです、とおっしゃって、なるほど、と思ったことがありますが、ケレットさんの作品にもそんなところを感じます。国を挙げて、パレスチナを叩き潰せ、みたいなムードになっているときに、真っ向から政府の好戦的な政策を批判し、パレスチナの人々を思いやる一方で、ユダヤ人差別的言辞には断固立ち向かう、穏やかながら決して揺るがないケレットさんの肝の据わった「笑い」には、あちこちで分断が進んでいるように思えるぎすぎすした現代を生きるうえでよすがとなる「何か」があるように思うのです。フィクションも、そしてイスラエルでの家族の日常を綴るノンフィクション『あの素晴らしき七年』も、とにかく語り口も切り口もユニークで一度読むとクセになります。それから映画も面白い。エトガル・ケレットという作家は、どこをとっても面白い。十月の来日イベントが待ち遠しくてたまりません!
小竹由美子
1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。訳書にアリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』『ディア・ライフ』『善き女の愛』『ジュリエット』、ジョン・アーヴィング『神秘大通り』、アレクサンダー・マクラウド『煉瓦を運ぶ』、ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』(共訳)『あのころ、天皇は神だった』、ネイサン・イングランダー『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』、ジム・シェパード『わかっていただけますかねえ』ほか多数。
● 母袋夏生さん(『突然ノックの音が』『クネレルのサマー・キャンプ』訳者)からコメントが届きました●
エトガル・ケレットの作品を読んだ方なら、あるいは映画(制作したり、出演したり、両方だったり)を観た方なら、それとも何度か来日しているケレットの話を聞いた方なら、この作家は、どんな問いにもすぐ、エスプリと洞察に富んだ言葉で率直に応え、道化てみせることも厭わないが、ほんとうはとてもシャイで思いやりに満ちた人だと気づくでしょう。
2017年6月、エルサレムに2週間ほど滞在しての帰り道のテルアビブで、エトガル・ケレットに会いました。繁華街に近いホテルに来てもらい、映画『ジェリー・フィッシュ』の舞台になったフリッシュマン・ビーチまで2人でぶらぶら散歩し、浜辺のカフェで大ぶりのカプチーノを飲みながら2時間ばかりおしゃべりしました。朝9時半なのに灼けつくような陽射しで、サングラスなしでは眩しくて地中海を眺められません。その日は5時にウサギの「ハンゾウ」と目覚め、8時半にレヴを小学校に送っていき(夏休みは7/1~ )、ホテルまで歩いてきたそうです。目と耳が悪いのは知っていましたが、鼻もおかしくなった、といいます。「50年も使いっ放しなんだもの経年劣化は当然だよね」と笑っていますが、パソコンを使っての執筆と映像が仕事なので、目と耳の衰えはつらいはずです。
このところ、父親が他界して以来、頭の中で転がしてきたテーマを、テレビドラマとしてフランスと共同制作することになったので、フランスにたびたび出かけている、と真剣な顔で語ってくれました。親の死後、遺産の建物をどうするかをめぐって、第一世代と第二世代の価値観の違いを描きだしたいとのこと。その翌年の2018年はまるまる台本を書いたり、台詞を覚えて出演したりだったようです。ストーリーもテーマも最初の目論見から多少動いたでしょうが、出来あがりを見るのが楽しみです。ついでに政治的発言について尋ねると、エトガルもシーラも左派として当局からマークされているし、右派からの嫌がらせもけっこうある、といっていました。政権の行き過ぎに対しては折々に大衆紙「イディオット・アハロノット」に寄稿するそうです。掲載されると、ほぼ自動的に英語に翻訳されて拡散していくようです。
おしゃべりと太陽に疲れたので、帰りはタクシーを拾いました。車中、「明日はレヴ(息子の名)のクラスで<作家の仕事>について話すことになってるんだ」といいます。児童それぞれの父親(母親)がそれぞれの職業(仕事)について話す授業があって、順番がまわってきたのだとか。「楽しみですか? それとも気が重い?」と訊くと、「話すのはいやじゃないんだけどね、でも、いまの子は騒々しいし、野次ったりするから、レヴは父親の講演をいやがってる」と、息子も気の毒だよね、という口ぶりでした。
『新潮』(2018年12月号)の「犬とエスキモー、エトガル・ケレット、日本からの視察団と語る」は、エトガル・ケレットの本音が読み取れる面白い記事です。実際にはあちこち飛んだであろう座談会を、秋元さんが読みやすいかたちにまとめているので、図書館でバックナンバーを繰っていただきたいです。
その座談会でケレットは、「イスラエル文学の特徴だと思うのは、壮大な叙事詩的物語を好むってこと。何世代にもわたる家族の物語とか、百年もかかるような話で、こういう本はたいてい分厚くて、文化や集団、政治や作家のもつ思想についての大きな声明や主張になって」いる、だが、自分は「この伝統に属しているとはあまり思えない」といっています。物語の長短だけでなく、「ディアスポラのユダヤ人たちの文学伝統」にあるユーモアと、「自分自身を外側から見るような自己批判」を大事にしようとすると、彼の場合は「ショートストーリーや小話の形態」になるといいます。翻訳者としては、ストリート言語を高度に取り入れて商業都市テルアビブの多様で雑多な空気を生みだしている、とつけ加えたくなります。
たしかに、イスラエルの礎を築いたのがロシア・東欧出身の人々が主だったせいか、長大なロシア文学やドイツ文学や聖書物語や、いくつもの数奇な人生が枝葉のように編み込まれたファミリー・サーガ(しかも、多くが実話に基づく)が好まれます。優れた作品も多いのですが、分厚すぎて邦訳できないジレンマを翻訳者は抱えてしまうほどです。だから、若い世代がエトガル・ケレットの掌編の面白さに気がついたのは、まさに僥倖、それだけ才能が光っていたのでしょう。1995年頃、イスラエルからの若い留学生が「痛快な話ばかりだから、ぜひ読んで」と『キッシンジャーが恋しくて』をお土産に持ってきてくれました。そのあと、30代の留学生が『クネレルのサマーキャンプ』を届けてくれ、ケレットの人気に驚きました。彼らの心情を代弁してくれる乾いたユーモアと哀感が好まれたのでしょうか。訳していて、わずか数ページの原文を読み返すたび、1語1語をゆるがせにしない作家の緊張感が伝わってきました。同時に作品が放つペーソスと香気も。
「我が家は海に近いのが最高だけど、小さいし狭くてね。キッチンのテーブルが仕事場だから、レヴが学校から帰ってくるともう仕事は終わり。<子どもタイム>になる」と嬉しげな目になる「父親」は、家族との日々の暮らしを愛おしみつつ、細切れの<作家タイム>に集中するのでしょう。
イスラエル人は、どちらかというと、ダメ元の突貫精神に富んでいるせいか強引な感じを抱かせがちですが、エトガルは真反対です。気配りいっぱいで、「空気を読んで」言いたいことも引っ込めそうな気配さえ漂わせます。繊細でサービス精神満点です。にもかかわらず、伝えたいこと、伝えるべきことは、空気みたいに相手に届きます。作品や政治エッセイやジョークやおどけた風情に乗せて。そのための工夫を怠りません。世界各国を飛びまわり、朗読会に出て経験値が増すほどに、工夫が凝らされ、趣向も卓抜になっているようです。ふざけて見せるのは照れ隠しかもしれません。テルアビブの浜辺でも、わたしが写真を撮らなくちゃ、というとすぐにふざけました。愛すべき「人たらし」です。
● 甲南大学スタッフよりコメントが届きました●
「ケレットさんってどんなひと?」
と尋ねられたら、わたしはこう答えようと思います。
ことばで表現するなら、「繊細」つまり「ナイーブ」、そして「内省的」。
ひととの繋がりに優しさや安らぎを求めているけど、なにか欠落している…とも感じている。
とてもつよい存在感を感じるけど、ふわぁ~と消えていきそうな雲のような雰囲気も漂う。
わたしは、そんな(?)印象を持っています。
その印象をつよく抱いたのは、昨秋の文芸イベント@甲南大学で上映した『エトガル・ケレット ホントの話』を観てから。ケレットさんが紡ぐ作品から溢れだすユーモラスな印象とは違い、とてもセンシティブなひとだという感覚を覚えました。
また、映画の中で語られていた親友オレンとのやりとりに、「生きていた方がいい理由を教えてくれたら 死なないよ」と尋ねられたことに「彼を納得させられる答えを出せなかった」という話がありました。オレンの自殺が小説を書くきっかけになった訳ですが、彼が小説を書く理由は、自分が生きることを選ぶ「答え」であると同時に、あの時に彼へ伝えることができなかった「答え」でもあるのかなと、わたしは思っています。
ケレットさんは「人生肯定派」でありながら、どうすればそれを彼に納得してもらえるか。
それを、「小説」とりわけ「短編小説」という形で模索し続けているように感じています。
だから、わたしは、ケレットさんの作品の多くからは「生きるってなんなのか」、そう問われている気がしています。
今秋10月にケレットさんとシーラさんが来日されます。もちろん、わたしがお目にかかるのは初めて。いったいどんな方だろう。わたしが抱いている印象と合致するのかな。とてもたのしみです。
更には、ケレットさんをパートナーに選んだシーラさん。彼女の人柄にも同性としてとても興味が湧いています。
Staff T
●吉井智津さんよりコメントが届きました●
たわいないできごとを思いつくままに話しているようでいて、どんなやりきれない現実も、一触即発の状況も、ひろい心とユーモアをもってかろやかに乗り越えてしまう(ように見える)ケレットさんのお話は、読み終えるたびに少しやさしい気持ちになれる気がします。そんなふうに思うのは、きっとそれらのお話が、作家自身が子どものころにお父さんから聴かせてもらったお話と同様、魔法と思いやりに満ちているからなのでしょう。この秋のイベントは、もっと聴きたかったケレットさんのお話が直接聴ける、映画でもその世界にふれることのできる贅沢な機会。来日楽しみに待ってます!
吉井智津(よしい ちづ): 出版翻訳者として活躍中
<訳 書>
『THE LAST GIRL―イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―』(2018)
『こじれた仲の処方箋』(2018)
『小さなモネ――アイリス・グレース――自閉症の少女と子猫の奇跡』(2017)
『インビジブル・インフルエンス 決断させる力』(2016)
ほか
● 小説家 福永 信さんよりコメントが届きました●
小説としては4冊目になる翻訳の、新刊の発売予定とほとんど同時の来日だから、セールスのための来日と思ったら大間違いだ。いや、ちょっとだけ間違いだ。初来日の時は、確かにそんな感じはあった。発売記念来日っぽかった。いや、それは初来日なんだから、それで良かった。誰もが、初めて見るイスラエルから来た世界で大人気の小説家の佇まい、その声に魅了された。僕もたまたま近くで見る機会があったけれども、この小説家はチャップリンに似ていた。それは単にスター俳優みたいな感じがしたというだけでなく、見た目が似てるような気がしたのだ、スクリーンの外の素顔のチャップリンに。見た目、人懐っこい笑顔、でもシャイなところ、あと子煩悩なところも似ているように思えた。そういえば確か、自宅にチャップリンのポスターを飾っているよ、と言っていた。
このイスラエルの小説家は初来日の時、1人の日本の友人を得た。その友人は甲南大学の教員で、後に彼の英語で書かれた本の翻訳者になる人物である。この日本の友人が、今度の4年ぶり2度目の来日の企画者だ。
今回はセールスなんて関係なかった。所属する大学のメモリアルに合わせてのものだが、思いは、「もっとこの魅力的な小説家の世界を、若い人達に、紹介したい」というものだった。たった一度の来日じゃあ全然足りなかったというわけだ。誰に頼まれたわけでもなく、手弁当で、来日を企画し、この小説家のドキュメンタリー映画の字幕の翻訳にまで手を染めた。
来日は、ほんとは去年実現するはずだった。でも、残念ながら、この年の来日は不可能となった。それでも、この日本の友人はめげず、プレ企画を実現させた。上にコメントを寄せる木村さん、そして温さんら日本の小説家と共に、字幕翻訳したてホヤホヤのドキュメンタリー映画の日本初上映会&シンポジウムを、大学で実施した。
その際、イスラエルから、日本の友人へ、コメント自撮り映像が届いた。その時この小説家は初期チャップリンみたいな大げさなヒゲを生やしていたが、それは来日できなくなった理由である長引いた撮影のためだったらしい。撮影のために滑稽なヒゲを生やす小説家とは一体何者なのかと会場はざわついたが、それがむしろ、ミステリアスな小説家のイメージを増幅し、今回の来日をさらに楽しみなものとした。イントロダクションとして大成功だったわけだ。コメント映像の中で小説家は、タカ、来日できずにすまない、という意味のことを言っていた。
というわけで1年間の延期ということになったのだが、事態は流動的だし、時間の余裕ができた、というより不安が増しただろう。結構大変だったはずだ。しかし、持ち前のガッツでこの日本の友人は乗り切った(乗り切ろうとしている)。彼は機会を見つけて直接イスラエルへ会いに行きもしたし、出町座に出向いて配給の相談をしたりした。むろん彼は映画配給のど素人だが(英文学の研究者なんだから当たり前だが)、少しずつ学び、とうとう関西の有力劇場での上映までこぎつけた。その間、日本初上映の関連映画の字幕翻訳をコツコツ続けた。字幕翻訳だって元々、ど素人なのだ、英文学の研究者なんだから。一体何をやってんだかという感じだが、それでも、彼はこれは自分がやるべき仕事だという確信があった。日本にこの小説家の魅力を伝えるには、本だけじゃダメだ、映画というジャンルも重要なんだ、という思いが、消せずにあったから。
だから、字幕翻訳もしたし、映画祭という形は外せなかった。僕は初期から構想を聞いてるから間違いない。たった1人の小説家とは思えぬ、いくつもの仕事をこなす、魅力あふれる小説家が同時代にいる、イスラエルっていう日本からちょっと遠い場所にいるけれども、それは単に距離的なことで、全然重要なことじゃあない。むしろ、僕らにとても近いものをこの小説家は持っている。そのことをもっとリアルに感じてもらいたい、そのための機会を作りたい、特にこれから何か自分なりの仕事をし始めるはずの、学生達のために。
そう、つまり、これは大学教員として、とても真っ当な仕事だったわけだ。そしてそれは、これもまた真っ当なことに、大学の外に開いている。大学の外の若い人達のために。大学という場は、もっとクリエイティブな場所であるはずだからだ。「仕事」というのは、自分なりに幅を広げていけるもので「大学教員」だから「英文学の研究者」だから、「翻訳家」だから、あるいは「学生」だから、ここからここまでしかやらないということなんか全然ない、という彼の意思の表明でもあるだろう。自分なりに、やれることは全部やればいい。遠慮なんかいらない。自分の人生なんだから。それは、イスラエルのこの小説家とまったく同じもの、響きあうものだ。
福永信(小説家)
福永 信(ふくなが しん)(1972年・東京都出身)
現代日本文学の最先端で軽やかな実験を続ける作家。1998年「読み終えて」で第1回ストリートノベル大賞受賞。また、2012年『一一一一一』で第25回三島由紀夫賞候補、2013年『三姉妹とその友達』で第35回野間文芸新人賞候補となり、2015年には第5回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞を受賞した。
<著作>
『アクロバット前夜』(2001年)
『あっぷあっぷ』(2004年)
『コップとコッペパンとペン』(2007年)
『星座から見た地球』(2010年)
『一一一一一』(2011年)
『三姉妹とその友達』(2013年)
『星座と文学』(2014年) 他
● 植田かもめさん よりコメントが届きました●
レストランや電車で、隣の席からたまたま聞こえてきた話が面白くてこっそり聞き入ってしまったことはありませんか?
エトガル・ケレットの「超短編」小説を読むことは、これに似た体験です。それは、ストーリーというよりも、 ナラティブ(語り)。今回の来日は、そんなケレットの「語り」を直接聞ける、貴重な機会だと思います。
彼と同じイスラエル生まれの作家アモス・オズは「もっとも危険なのは人間の心、とくに自分自身を笑えないことだ」と言っています(「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」より)。
では、自分を笑うためには何が大事でしょうか?それはきっと、想像力です。ケレットは、彼の作品に登場する、飛べない天使や、嘘の国の住人や、夜になるとでぶっちょになるガールフレンドを通して、想像力とユーモアを教えてくれます。しかもだいたい数ページで。
植田かもめ(ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人)
● 藤井 光さんより コメントを頂きました ●
エトガル・ケレットの書くものは、人に対する愛おしさをたたえた同じ肌触りを持っている。エッセイでも創作でも、それがまったく揺らがないのは、ある意味では謎めいているとすら思える。でも、エッセイが切り取ってくる「現実」と、創作という「虚構」とを区別すること自体がそもそもまちがっていて、その二つは「人生」という名の自転車を動かす車輪のようなものなのかもしれない。
いや、ケレットには映画という大事な表現手段もあるのだから、そうなると三輪車か。いやいや、彼には短編のように五分でオチにたどりつく小話という技もあるらしいから、四輪、ということは自動車か……
でも、僕にとってのケレットは、圧倒的に自転車が似合う。「表現」という自転車にまたがってペダルを漕ぐ作家は、まわりの天気を肌で感じ、出会う人たちと言葉を交わしながら、すいすいと動いていく。からっとした晴天で汗をかいていても、突然の雨でびしょびしょになっていても、作家の顔から笑みが消えることはない。
そうして次々と目の前に現れる風景に、ケレットは輝きを与えてくれる。それを読者として目の当たりにしていると、自分も自転車にまたがって出発したいという気持ちが湧き上がってくる。そんな幸福な瞬間が、どれほどあるだう。
藤井 光 (アメリカ文学研究者兼翻訳者・大学教師)
● 小説家 木村 友祐さんより コメントを頂きました ●
ケレットさんの作品は、現実の細部がいやにリアルに描かれながら、ありえない方向に話が展開してそのまま終わってしまうという、なんともいえない不思議な読後感が残るものが多い。オチがついて「お話」としてスッキリ終わるというタイプのものとはちょっとちがう。
軍役についていた時代に、同じく軍役についていた親友が自殺したことが引き金になって小説を書きはじめたというケレットさんに、ぼくはこんなふうに聞いてみたい。
「もしかしてあなたは、異常を内在させた<日常>の中で、狂わないために現実の光景をずらしたり、現実の向こう側を描いたりしているんじゃないですか。つまりそれって、狂わないための遊びなんじゃないですか」と。あるいは、「頼りになる神様の登場が期待できないこの人生を、ちょっと複雑な経路をかいして肯定するために、小説があるんじゃないんですか」と。
でも、そんなぼくの質問に対して、ケレットさんならこう答えるような気がする。
「そんなの、君の自由に、好きなように考えたらいいんだよ。だって、小説も人生も、誰のものでもない、君自身のものなんだから」
実際はどうなんだろう。勝手にこうして仮想の問答をしているわけだが、何かの教訓を引きだそうとしたって、つまらないかもしれない。
ただ、ぼくがケレットさんの作品や本人のドキュメンタリーに何か他人事ではないものを感じるのは、彼の視界にはちゃんと、ぼくらがここにいることの意味と無意味の狭間が見えているのだろうということだ。
10月にケレットさんとパートナーのシーラ・ゲフェンさんが来日する。ふたりの対話から、また新たな発見が得られるにちがいない。今から楽しみだ。
木村友祐(小説家)
木村 友祐(きむら ゆうすけ) (1970年・青森県八戸出身)
東北大震災の被災者や動物たち、オリンピックに沸く中切り捨てられるホームレスなど、常に弱者への視点を持つ作家。
青森の南部弁での表現にも意欲的。2009年『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞。
2019年、『イサの氾濫』と『聖地Cs』が英訳されて出版(コロンビア大出版会)。
< 著 作 >
『海猫ツリーハウス』 (2009年)
『聖地Cs』 (2014年)
『イサの氾濫』 (2016年)
『野良ビトたちの燃え上がる肖像』 (2016年)
『幸福な水夫』 (2017年)
● 甲南大学スタッフよりコメントが届きました●
ぼくは『あの素晴らしき七年』から、ケレットさんにはまりました。
そこから友人や先輩、家族まで、多くの人に作品をすすめるようになり、今ではたくさんのファンが周りにいます。
ある人は「久しぶりに面白い本を読みました!中東の雰囲気も分かってさらに良かったです」とエッセイに魅力を感じ、ある人は「不思議な世界に引き込まれたし、随所に考えさせられるカケラが見つかった」と小説の世界観に魅了されていました。
何よりみんな感想を語るときに、「ケレットさん」と親しみを込めて話しているのが特徴的だなぁと思いました。
イスラエルという離れた国の作家でも、常にユーモアを忘れず、人生の美しい部分(時には直視したくない部分までも)を、物語を通してまっすぐに見つめる姿に共感しているのかもしれません。
今回の来日ではそんなファンの友人らと共に、ケレットさんの言葉に耳を傾けたいと思います。
Staff やぶちゃん
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後援:イスラエル大使館、河出書房新社
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